りんご「ふじ」のふる里、藤崎町。
いまや世界中で愛されているりんご“ふじ”。
りんごの一大産地、青森県のなかでもここは特別な場所。
藤崎町産限定ブランド「元祖ふじ」のはじまり
青森県では、藤崎町産のふじだけを「元祖ふじ」と呼びます。津軽地域の青果市場では、元祖ふじりんごのコーナーが設けられるほど、地元では大切に扱われるブランドとなっています。「元祖ふじ」を生んだりんごの新品種の育種試験は、1939年(昭和14年)から開始されました。開始から3年間で21品種から64の組み合わせ、13,775本の実生(みしょう、小さな木の意)が生まれましたが、この実生が花を咲かせ始めたのは1947年(昭和22年)のこと。それも、48個の花から実際の果実になったものはわずか10個。その年に初めて行われた収穫調査も、大きな成果を得ることができませんでした。今や国内生産量ナンバーワンの「ふじ」が誕生するまでの先人たちの努力の歴史をご紹介します。
「ふじ」の誕生
「ふじ」発祥の地
1939年(昭和14年)
1951年(昭和26年)
1958年(昭和33年)
1962年(昭和37年)
1950年(昭和25年)
1959年(昭和34年)
開始された育種試験の中で、「デリシャス」の花の花粉を「国光」の花のめしべに交配したものから、後に「ふじ」となる品種が生まれました。この年のこの組み合わせからは274個の果実を収穫し、翌年この果実から得られた2004粒の種子を植え付け、968本の実生が育ち、畑に植え付けられました。
▲ 農林省園芸試験場東北支場 1938年(昭和13年)4月藤崎町にて開場。
968本の実生が初めて実をつける。
そこから、たくさんの試験検討がなされ、1958年(昭和33年)に「東北7号」として選抜されたものが後の「ふじ」。「東北7号」は、研究機関だけでなくりんご農家でも試験的栽培が進められるほどに大きな注目を集め、普及が進んでいきます。
「ふじ」と命名されたのは1962年(昭和37年)3月。
全国りんご協議会名称選考会にて正式に命名されました。同年4月に「りんご農林1号」として品種登録され、一躍脚光を浴びました。1982年(昭和57年)にはデリシャス系を抜いて生産高日本一となり、「ふじ」は名実ともに日本一のりんごに成長しました。
「ふじ」の名前は、生まれ故郷の「藤崎町」と日本一の山「富士山」、ミス日本で女優の「山本富士子」にちなんでいるという逸話があります。
「ふじ」を生んだ園芸試験場は、「農林省東北農業試験場園芸部」に組織替えされ、盛岡市に移転統合されることとなりました。
ここから3年計画で移転の作業が進められ、1962年(昭和37年)に移転を終わり、3月に閉場式が行われて、24年間の歴史を閉じました。試験場にあった「ふじの原木」も、盛岡市に移転されています。
現在、園芸試験場のあった藤崎町大字藤崎字下袋の約18.5ヘクタールの広大な土地は弘前大学農学生命科学部附属生物共生教育センター藤崎農場や県立弘前実業高等学校藤崎校舎、町営住宅のある団地となっています。弘前実業高等学校藤崎校舎の敷地には盛岡市に移転された「ふじの原木」とおなじ遺伝子をもつ原木が植えられた「藤崎町ふじ原木公園」があり、次世代に遺すべき「ふじ」誕生の地のシンボルとして、現在もなお大切に育てられています。
「ふじ」の基本情報
ふじ
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晩生種
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青森県での収穫適期は、有袋ふじが10月末~、サンふじが11月上旬~
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販売時期 11月上旬~翌年8月まで
(春以降に出荷されるものは、秋の収穫後に鮮度を保持できる専用冷蔵庫に入れて保管されている) -
母親「国光(こっこう)」、父親「デリシャス」
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青森県藤崎町にあった当時の農林省の関連機関が育成。
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350g程度で果皮の色は無袋栽培(サンふじ)の場合紅色に縞が入り、有袋栽培では鮮やかな紅色となります。
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果肉はシャキシャキとした食感で、果汁が極めて多く、甘酸のバランスに優れています。
「ふじ」の豆知識
戦禍を乗り越えて実った“ふじ”
1939年、農林省園芸試験場東北支場(藤崎町)で、「国光」に「デリシャス」を交配して生じた種子2004粒を翌年播種し、その実生 968個体を得ました。ところが1939年、太平洋戦争が始まります。果樹類を伐採して麦やイモを植えることが奨励され、りんごは国民食料と認められず、やがて研究員は次々と招集されてしまい、育種事業は事実上停止します。研究の継続は困難を極めましたが、交配で得られたたくさんの実生は、残る職員と善意の人々の努力で、ほぼ完全に守られたのです。戦争が終わり、職員たちも徐々に復員し、研究は再会されます。
やると決めたら思い切りがいいのが青森県民のじょっぱり気質(頑固で気骨のある性格のこと)。最後まで諦めない研究員の熱意と、ふじの生命力の強さがうかがえます。
「ふじ」の豆知識
戦後日本のイノベーション100選に選出
ウォークマン、新幹線、内視鏡、インスタントラーメン、ウォシュレット。これは公益財団法人発明協会が平成26年(2014年)創立110周年を迎えたことを記念し、戦後日本で成長を遂げ、我が国産業経済の発展に大きく寄与したイノベーション100を選んだ中で選出されたものの一部です。そうそうたる顔ぶれですが、農林水産物で選出されたものが2つだけありました。一つは日本におけるブランド米の元祖ともいえる「コシヒカリ」。そして、もう一つがりんごの「ふじ」です。
「ふじ」の豆知識
世界シェア ナンバー1
日本における「ふじ」のシェアは約5割。日本一のりんご生産県である青森県でも「ふじ」のシェアは約5割となっています。また、世界規模で見ると、世界のりんご生産量の半分近くを占めている中国における「ふじ」のシェアは6割以上と推測されており、アメリカ、チリ、ニュージーランド、アフリカ大陸など世界各国でも栽培され、今や世界で最も生産量が多いりんごが「ふじ」となっています。
一説にはりんごは8,000年前から栽培されていたとされています。現在世界には約15,000種ものりんごの品種がある中、西洋りんごの栽培を始めてわずか140年ほどの歴史しかない青森県で誕生したりんご「ふじ」が世界シェア ナンバー1となっていることは驚くべきことです。
共に「戦後日本のイノベージョン」に選出された「コシヒカリ」は小面積ながら東南アジア等で栽培されていますが、日本発の農林水産物がこれほどまでに世界的規模で広まった例は他に見当たらず、いかに「ふじ」という品種が世界のりんご産業に貢献している品種であるかが生産量からもうかがい知れます。